こんにちはねむ。です。
この記事では、黒柳徹子さんについてまとめています。
テレビ番組以外でも様々な活動を行っています。
そういったあまり知られていないような情報についてもまとめているので、ぜひ最後まで読んでいってください。
ではいきましょう!
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黒柳徹子さんってどんな人?
黒柳徹子さんについて、まずは簡単にまとめていきます。
人物像とこれまでの活動を紹介します。
黒柳徹子さんの生い立ち
黒柳徹子さんは、1933年8月9日に生まれました。
東京生まれで、愛称にはトットちゃんや チャックがあります。
幼少期は問題児とされていて、尋常小学校(現在の公立小学校)を1年生の時に退学させられ、トモエ学園に転校します。
1953年1月にはテレビ女優第一号の一人として、NHK放送劇団の一員になります。「若い季節」や「夢であいましょう」など、人気番組に出演していたので、週6、7本のレギュラー番組を抱えるとても忙しい時期がありました。
20代後半になるとテレビとラジオのレギュラーが週10本になり、睡眠時間も3時間になったので、過労によって一ヶ月の入院をしたこともあります。
黒柳徹子さんの主な活動
黒柳徹子さんといえば、やっぱり徹子の部屋が有名だと思います。その徹子の部屋は、実は日本初のトーク番組でした。
この番組を始めるとき、徹子さんがテレビ朝日に2つだけ条件を出していました。
- 編集をしないこと
- スタッフの入れ替えをしないこと
この2つにはしっかりとした理由もありました。
- 番組の質の低下を防ぐため
- 編集に関する意見の衝突を防ぐため
- ゲストのありのままの姿を引き出すため
芸能活動の他にも慈善活動を行っていて、UNICEF(ユニセフ)親善大使としても有名です。
黒柳徹子さんの持っていた発達障害
黒柳徹子さんは、ADHDかLDのどちらか、もしくは両方を持っていると言われています。
LDは別の言い方で、失読症やディストレクシアとも呼ばれています。発達障害が黒柳徹子さんにもたらした影響
黒柳徹子さんの場合、発達障害はどう影響したのでしょうか。
その詳しい内容については、「窓際のトットちゃん」という小説に書かれています。
興味を持った方はぜひ一度読んでみてください!
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黒柳徹子さんが成功できた理由
成功できた理由については、ある方のブログに書かれていました。
「徹子さんは落語がお好きで、『今のお笑いはつまらないわ』と言っていたんです。なので、『つまらないと言っていただいて構いませんから』と。そのうちに、率直にものを言う徹子さんが『面白い』となり、若い人にも注目してもらえるようになりました」
» 『徹子の部屋』が42年愛される理由 今も生放送感覚|エンタメウォッチング
書かれているように、媚びたりせず、つまらないものは素直につまらないと言える黒柳徹子さんだからこそ、若者からも人気を築くことができ、成功できたのかもしれません。
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黒柳徹子さんの意外なエピソード・魅力3選!
ここでは、黒柳徹子さんの意外なエピソードや魅力を3つ紹介します。
- 馬と話せる
- 地雷の埋まった場所にボールを取りに行った
- 自分に正直である
気になったところだけでも読んでみてください。
黒柳徹子さんの意外なエピソードと魅力①
馬と話せる
あるテレビ番組で、ハルウララという名前の馬に、「なぜそんなに走るのが遅いのか聞いてみたい!」とスタッフが発言した際に、こう答えたそうです。
「馬と話せるから大丈夫!」
何が大丈夫なのか、かなり気になりますね・・・。
黒柳徹子さんの意外なエピソードと魅力②
地雷の埋まった場所にボールを取りに行った
子どもたちが飛ばしてしまったボールを取りに行ったエピソードです。
その場所は地雷の埋まった場所でした。
「人間が死ぬ運命の日は予め決まってるものだから、それまでは何やったって死なない。」
そう言ってボールを取りに行き、そのまま戻ってきてボールを子どもたちに渡したそうです。
黒柳徹子さんの意外なエピソードと魅力③
自分に正直である
上の項目でも書いているように、つまらないものをつまらないといえるように、正直なところに魅力を感じています。
素直であることと同時に媚びないという性格、この2つが黒柳徹子さんの魅力です。
最後に!
黒柳徹子さん以外にも、さまざまな有名人と発達障害についてまとめています。
こちらの記事から確認できるので、興味のある方はぜひ読んでみてください!
実はこの人も発達障害者だった!【成功した有名人8選】
この記事では、発達障害を持っていて成功した有名人についてまとめています。「この人についてもっと詳しく知りたい!」と思った方がいましたら、ぜひリンク先の記事を読んでみてください!いろいろと参考になると思うので、ぜひ最後まで読んでいってください。